城下町 おおたき
名将 本多忠勝と江戸時代にタイムスリップしよう!
名将 本多忠勝と江戸時代にタイムスリップしよう!
房総半島のど真ん中に位置し、徳川四天王の一人・本多忠勝(大多喜城初代城主)が造った城下町の面影が現代に色濃く残る町です。
江戸時代から昭和初期にかけての歴史的に貴重な建物(国の重要文化財を含む)が数多く保存され、ゆっくりと時が過ぎてゆくのを体感できます。
また、養老渓谷に代表される緑あふれる自然を満喫できる、見所いっぱいの町です。
江戸時代から昭和初期にかけての歴史的に貴重な建物(国の重要文化財を含む)が数多く保存され、ゆっくりと時が過ぎてゆくのを体感できます。
また、養老渓谷に代表される緑あふれる自然を満喫できる、見所いっぱいの町です。
《本多忠勝とは》 徳川四天王の一人として、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将・大名。徳川家の家臣にして、上総大多喜藩初代藩主、忠勝系本多家初代宗家でもあった。 天文17年(1548)3月、三河国に生まれ、生粋の三河武士として育ち、13歳のとき大高の役の初陣から大小合わせて57戦、常に軍功を立て、勇名一世にとどろきました。戦場では、かすり傷一つ負わなかったと伝えられています。 天正18年(1590)、徳川家康が江戸城に移った際に大多喜藩十万石を与えられ、初代大多喜城城主となりました。武田方の武将・小杉左近の詠んだ狂歌「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」は有名です。 出陣の際には動きやすい軽装を好み、愛槍の蜻蛉切(とんぼきり)と鹿角脇立兜、(自らが葬った敵を弔うための)肩から大数珠をさげるのが常だったと言われています。 左の肖像画でも、鹿の角をかたどった派手な兜をかぶり、右手に采配を持って腰掛けている忠勝の姿は、戦国武将の気風をよく表しています。 |
《歴史的建物がいっぱい!》
江戸時代から昭和初期の風情漂う建物が数多く保存されています。
伊勢幸酒店 | 尾高屋 明治時代の米倉庫 |
夷隅神社 | 渡辺家住宅 |
《十万石城主の気分を味わおう》 昭和50年(1975)に復元された大多喜城(千葉県中央博物館大多喜城分館)は、町内のいたる所から見る事ができる大多喜町のシンボルです。 |
《いすみ鉄道》 町民は元より観光客からも広く愛される「いすみ鉄道」。房総半島を横断し、緑あふれる自然の中をのんびりと走り抜けます。黄色い車体の側面にはアニメ「ムーミン」のキャラクターが描かれ、「ムーミン列車」として運行しています。 |
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Copyright (C) 2009 Otaki-cci, Katsuura-cci, Onjuku-cci, Isumi-cci. All Rights Reserved.
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